この記事の続きです。
1話目はこちらです。
地震から1週間ほど経ちました。
上司から
「明日、出社するように」
という連絡がありました。
正直、もう出社しなければならないのか……という気分でしたが、日に日にブログのアクセスは減っていき、それにつれて記事の更新頻度を減らしていました。
家にいてテレビをつけてもニュースしかやっていないので、他にやることはありません。
そろそろ出社しておいたほうが良いということなのかもしれません。
日常が変わる
地震から数日ですが、東京では何事もなかったかのように普段の生活に戻ろうとしていました。
家から最寄りの駅への道のりはいつものスーツのサラリーマンだらけの風景です。
ただ、ひとつだけ変わっていることがありました。
それは外にいるほとんどすべての人がマスクをしていたことです。
空気中に漂う放射性物質の対策にマスクが有効だと報道されていた影響でしょう。
どのお店でもマスクが品薄になっていました。
内部被曝という気にしなければいけないものが1個増えたのは、非常にわずらわしいものでした。
もちろん被災地に近づくと、もっと不便な思いをしている方がたくさんいて、それに比べればたいしたことではありません。
しかし、それでもこの光景がなにか奇怪な状態であることは間違いありませんでした。
プロジェクトが変わる
会社に着くと、自分の関わっていたプロジェクトは一旦中止となり、出張もしばらくなくなるということを聞かされました。
正直このプロジェクトはもうつかれていたので、とりあえず一安心でした。
それから、代わりに別のプロジェクトに入ることになりました。
そのプロジェクトも前と同じで客先で通信機器を納品して設定を行うというものです。
そろそろ慣れてきていましたが、こうやってひとつのプロジェクトが終わると、また次のプロジェクトがやってきて、興味のない時間が一生、延々と続くのか……と感じていました。
そのプロジェクトに入ってからは、夕方に客先の施設に入り、深夜に作業をして、朝のシステムが稼働するまで待機するという仕事が多くなりました。
もうひとつの大きな変化
作業は1, 2時間で終わってしまうので、残りの朝まで待機する数時間は、とても暇でした。
僕はこういうときは今まで社内で推奨されている資格の勉強をしていたものです。
しかし、地震があってから変わったことがありました。
それは自分の好きなプログラミングの勉強をするようになったことでした。
上司の目を盗んで、インターネットでプログラミングの入門サイトを開き、インターネット環境がないときにはエクセルを開いてマクロを作成し、少しでもプログラミングの理解を深めていました。
明日 死ぬとしたら、何をするか……
人生は何が起こるかわからなくて、いつでも少しの状況の変化で、自分の思い通りにならなくなります。
地震が起こって、目の前に明確に死を感じたとき、自分にもっと素直に生きた方が良いのではないか、と考えるようになりました。
いつでも死ぬときは死んでしまうし、事故や病気がなくても数十年後に必ず死が訪れます。
そのとき、楽しく生きれたと思えるか。
人が死ぬ前に後悔することの多くは、
- もっと働かなければ良かった
- もっと自分の時間を生きれば良かった
という話をよく聞きます。
それは間違いないな、と思いました。
なぜなら正直、今の自分にはこのまま死んだら後悔することしか考えられなかったからです。
何もしなければこのまま一生を迎えて死んでいくし、生きている間は誰かのために不満を言いながら暮らしていくんだろうなあ、とも思ってしまいました。
そして、
「1度入社した会社は最低3年は働け」
「すぐ辞めたらクセがつく」
という言葉の魔法にもかかっていることに気がつきました。
そんなのは誰が決めたんでしょう。
みんなが言っているから自分も勝手にそう思っているに過ぎないことです。
そして、これが本当に正しいと感じるかどうかは自分にしかわかりません。
自身が正しいと思えば正しいだろうし、正しくないと思えば正しくないです。
単なるみんながどう思うかという多数決であり、答え合わせは未来が見えない限り誰にもできません。
だけどそんな根拠もない話を聞かされて夢を諦める人がどれだけいるでしょうか。
仮に不正解を選んでしまったとしても、自分で決めてやったことは後悔しても許せるような気がします。
少なくとも今は、周りの期待に応えて会社に入り、自分のやりたくないことをやっているという毎日で、後悔しかありませんでした。今のところ、不正解の道を進んでいます。
もしかしたらもう一方の道も不正解かもしれなくて、でもどうせ今がつらいなら、自分のやりたい道を目指してつらい思いをしているほうが100倍マシ。
そしてこの若いいろんなことを吸収できるときに、なぜこんなにも毎日 悶々としながらやりたくない仕事に自分の時間を費やしているんだろう。
そんなことをするために東京にきたわけでもないし、誰かの期待に応えるためにきたわけでもない。
そんなつまらない言い回しは、いつでも社会や世間の波に流されていって、すぐに常識が変わってしまう。
ただそれだけの不確定なものだということもわかってきました。
だから自分の好きな生き方をするために、自分の思うとおりに好きなことをしていたほうが楽しいのかもしれない。
サーバー室の冷たい床の上に座って、いつの間にか空が明るくなってきた明け方頃、結論が出たことを悟ると、次の日、転職サイトを開きました。
以下の記事に続きます。