この記事の続きです。
1話目はこちらです。
東日本大震災の次の日の朝。
携帯電話で調べるとどうやら飛行機は本数を減らしてはいるものの、運行しているようでした。
空港へ行くと、ぶじに窓口でチケットをもらうことができ、ひと安心です。
(これで帰れる……。)
初めて知った地震の爪痕
ほっとしたのはつかの間のことでした。
待合室のロビーに向かうと次の瞬間、テレビに映し出されたとんでもない文字が視界に入ってしまいました。
死者・行方不明者600人以上
目を疑いました。
それが現実に、日本で身近に起きていることだというのを飲み込むと、体が震え、寒気が止まりません。
そのとき、空港のロビーにいた全員がテレビに釘付けになっていました。
それを見て何かをしゃべる人は誰一人としていません。
ロビーはとても静かで、みんな呆然としていた光景は今でも忘れられません。
家に帰ってから、それは1000人になっていました。
もうこれくらいだろうと思っていてもそれは、次に見たときは、すぐに1400人、1700人になり……
止まるどころかますます増えていく数字を見ながらこんなにあっけないものなのかと思いました。
数字がゲームのスコアのように時事刻々と増えていくさまは、にわかには信じがたい光景でした。
深刻な状況
震源地から離れていた関東ですら、地震による生活の変化をいたるところに感じました。
それは次の日のことです。
その日は休日で、お昼まで寝ていました。
起きてテレビをつけても地震のニュースばかり。
そして余震はあいかわらず絶え間なく続いていました。
いくら震源地から離れていると言っても、少し大きな余震があるたびに危機感を覚えます。
いてもたってもいられず、お昼を食べるために外に出ることにしました。
ふと近くのスーパーに行くと、多くの食料が棚から消えていることに気がつきます。
そのとき、買占めで食料が足りないことが問題となっていたのでした。
水やパンなど、日持ちする食料品が全て売り切れになっていました。
自動販売機の水ももちろんどこを見ても全て売り切れです。
食料品だけにとどまらず、ガソリンスタンドは車で列をなしていました。
その日はマクドナルドでご飯を済ませることにしました。
確か14時すぎに行ったのですが、今日はもう在庫がなくなるので15時で営業終了とのこと。
ちょうど自分の注文を最後にハンバーガーが売り切れとなりました。
この食料が足りない状況はいつまで続くかわかりません。
今まで当たり前にあったものが、当分なくなるかもしれないという不安を覚えました。
震源地に近ければ近いところになるほど大変な状況で、あとから聞いたのですが、茨城のほうにすんでいた友達はしばらくの間、お菓子を食べて、シャワーも入れずに暮らしていたと聞いています。
もちろん被災した方々はもっと大変だったことでしょう。
今回の地震の深刻な状況を物語っていました。
いったいこれからどうなるんだろう。
そしていつ平穏な生活に戻れるのか、不安な日々が続きます。
以下の記事に続きます。