話を聞いてて この人、薄っぺらいな〜っていうの感じちゃうことってありますよね。
これはしゃべりがうまい下手って話じゃなくて、口下手でも中身がある人はわかるし、その逆で一見 整理されていてしゃべりはうまいんだけれども、中身が全くないような話をしているなあってことありません?!
薄っぺらい人、薄っぺらい人間の特徴と、物知りなことと結果が出ることは違うって話を書いてみたいと思います。
これは昔、とある仕事つながりで出会った方との話。
聞いたことと思ったこと
その方も僕と同じように株式投資をやっているらしく、僕にいろんな自論を語りかけてくれました。
- データは全て揃っているんだ。
- これを分析すれば勝てる。
- 理論に勝るものはない。
- プロはこうやっているから、これが正しいんだ。
といったことをおっしゃっていました。
人それぞれ考え方はいろいろあるから理論を語ることは自由だとは思うけど、いかにもそれが絶対であるかのようにグイグイ来るのでちょっと身構えてしまいました。
そして話を聞き進めているうちに思ったこと……それは、
結局それでうまくいってるの?
詳しいことと、結果がうまくいっていることは違う
最終的には勝つか負けるかという話であり、目標は勝つことです。
株は王道があるようでありません。
リスクがどれだけとれるかとか、今いくらお金を株に回せるのかとか、どれだけ株に時間をかけられるかによっても手法は変わってくるし、本当にこれが正しいものっていうのはなくて、ただ、勝っている人は常に勝っているし、負けている人は常に負けています。
その違いは実際にお金を市場に入れて、反省しながら実績を積んできたかどうかの違いだと思っています。
話を聞いていると、頭でわかっているだけで実践を積んでいないというのがわかるし、
「ああ、この人はきっと株でうまくいっていないんだな……。」
と思いました。
実際に実のところを聞いていると、今はもう株をやっていないし、最終的には負けているという話でした。
それだけなら良かったのですが、株には未来がないし、やってもムダといったことを付け加える始末です。
もしかすると僕がわりとうまくいっていたのでプライドが出てしまったのかもしれません……。
これだけ頭脳明晰でしゃべりがうまくて賢いうえに、株の知識をこれだけ持っているのです。
しかしうまくいっておらず、あたかも自分はうまくいっているかのように語って、しかも最終的には株式投資自体を否定する結論に持っていくという荒技を披露してきました。
せっかくならやってみてうまくいった話をして欲しいし、そうでなければ別に無理に強がる必要はありません。
うまくいっていない話を机上の空論でそれらしく語られてもそれは全くプラスにならないし、耳に入れたくありません。
もしうまくいっていないようであれば、うまくいっている人から話を聞けばいいだけの話です。
僕がやっている手法なんていくらでも教えられます。
もしかするとそこから参考になることだってあるかもしれません。
僕が逆の立場だったら絶対そうするので、もったいないな〜と思ったし、うまくいくかいかないかはそういうところだと思いました。
結局 言いたいこと
長くなってしまいましたが結局何を言いたいかというと、
「わかる」と「できる」は大きく違う
ということです。
ネットや本や雑誌で株に関する情報なんて星の数ほど出ているし、世界の情勢が変わったり、国内のニュースで暴落したとか暴騰したとかいつも言っているので、ありとあらゆるネタが常に存在しています。
だからわかったように語ることはわりと簡単にできます。
しかし、誰が書いたかわからないようなネットに出ている情報、本に書いてある情報、人が話す情報、いろいろありますが、結局世に出ている情報はとくに株に関しては信じない方が良いし、むしろシャットダウンした方がいいくらいだと考えています。
もちろん参考にはなります。
自分の知らなかった知識や視点が得られるようになります。
でもそれだけじゃダメだということです。
なんでも知っている株の物知り博士になれたとしても、実際にトレードするとうまくいきません。
頭に叩き込んで「わかった」うえで、あとは自分の体で練習して「できる」ようになります。
何度も何度も実際のトレードをして、反省を繰り返すことで、自分のトレードができるようになります。
そこからシステムトレードでもデイトレでもFXでも発展させて好きなようにやっていけばいいのです。
例えば一輪車に乗るということ
今回は株の話になりましたが、なにもそれだけではありません。
例えば、一輪車も頭でわかっただけだと乗れません。
まず、サドルにまたがって、右足をペダルに乗せて、左足をペダルに乗せて、足を円を描くように左右交互に踏み出して漕ぎます。
これを頭に叩き込んで、「わかる」ようになりました。
みんなに語ることができるようになりました。
さてこれで今日から乗れるようになっているでしょうか。
そんなわけはありません。
頭でわかったら今度は練習です。
何回も何回もやっていると、あるとき急にワッと乗れるようになります。
そのとき初めて「できる」ようになったと言えます。
5メートル走れるようになったら今度は10メートル、それができるようになったら100メートル、そこまでいけばどこまでも、そして目をつぶってでもできるようになっているのです。
ここで理屈でわかっている知識は、一輪車に乗れる人と乗れない人では大差はありません。
「わかる」ことと「できる」ことでは知識量の差は小さいにもかかわらず、結果は雲泥の差。
この違いを理解しながら、まだまだ精進していかねばと胸に刻むきっかけとなった出来事でした。
分かったような口を利く人がいますよね。すごくいいことを言っているんですが、実際に何をやっているの?と聞くとたいした実績がないんです。私は口下手なので、そのひとの行動しか信じないことにしています。