親元を離れることで、初めてわかった。実家を出るべき唯一の理由

中学を卒業してから親元を離れ、実家から車で2時間ほど離れた学校に通うために寮で暮らすことになった。

 

最初にそれを決めたときは、

「わざわざ離れたところに行かなくていいんじゃない?」

「本当に行きたいんか?」

などと言われたのだけど、本人はいたって本気で そのときはむしろ一刻も早く家を出て独り立ちしたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 

オタマジャクシ

祖父母、親、子供が暮らす、よくある田舎のふつうの三世代家族。

とくにこれといった不満があるわけではないんだけれども、その普通がなんだか閉塞感があって、個人的にあまり居心地の良いものではなかった。

 

外の世界にはビルや電車があって、おしゃれなバーだのマクドナルドだのがあって、サラリーマンがスーツを着て働いているらしい。

そのときはビックマックなんて食べたこともないし、ビルや電車も修学旅行で一度見たことがあるくらいで、中に入ったり乗ったことがなかった。

 

徒歩一時間かかる学校の帰り道。周りが田んぼと畑しかない道の途中にぽつんとある個人商店のベンチに座りながら 友達と、

「ああ、一度でいいから帰りにミスド寄って、買い食いして帰ってみたいよな〜」

なんて言いながら、5本で100円のスティックパンを頬張っているのが贅沢の限界だった。

 

インターネットが我が家にやってきたとき、外の世界には自分の知らない たいへん大きな世界が広がっているらしい。

そんなことを初めて知るようになって、自分もいつか外へ出て、自分の力で生きたい

そんなことを思うようになった。

 

初めて家を離れたときは なかなか周りに馴染めなくて大変だったのだけど、慣れてしまえばやっぱり自由で、オタマジャクシの尻尾がなくなり足が生えたようだ。

沼から初めて顔を出し、地上の土を踏んだカエルの気持ちが憑依してくる。

 

家族という居場所

実家で生活していたとき、僕には家族がすべてだったし 居場所というのはひとつしかないものだ、というのが当たり前のことだった。

それはなんとなく窮屈だけど おそらくみんなそうなんだし、大人になって現実を知るにつれて 人生は自然と閉じられていき、最終的には苦しくなっていくものなんじゃないか。じっくり考えたことはないけれど、周りの親世代を見ていて そのようなことが なんとなく脳の断片に刷り込まれていたように思う。

 

だけどそれは違ってて、家族は自分が所属するひとつのサークルにすぎない

他にも友達の仲良しグループ、親戚の集まり、日本国にだって所属している。

それぞれの居場所を横断して、繋がったり離れたりして共存し合っていることがわかったときは 大げさかもしれないけど、コロンブスが海を渡って新大陸を見つけたときと同じくらいの、自分にとっては人生を変えるとても大きな発見だった。

 

依存

よく居酒屋へ行けば隣の席から会社の悪口が聞こえてくるけど、だいたいは人間関係のもつれが引き起こすもので 複数の条件が絡み合って根深いことが多い

人が集まると どうしても自分のポジションの取り合いが起きて殺伐としてしまいがちなんだけど、それはたいていの場合、他の居場所があることを知ってしまえば解決する問題なんじゃないかと思ったりする。

 

ひとたび未知の領域に足を踏み入れてみれば、世の中にはまだ見えていない無数の居場所があって、それぞれ自分に合ったり合わなかったり、少しだけ合うけど一部は違う、そんな多様なスペースの中にいろんな人が出たり入ったりしながら社会が出来上がっているんじゃないだろうか。

そして ひとつに依存しているというのは、心がうっ血して 辛いものなんじゃないかと考えるようになった。

 

もちろん自分の唯一 信じるものがあって初めて頑張れるという人もいるのでそれはそれでいいと思うし 素晴らしいことだと思うけど、それで頑張れない人は他に道なんてたくさんあるんだし、一個に固執せずに軽い気持ちでいろんな場所を横断していけば楽しいと思う。

所詮は地球という箱の中で くっついたり離れたりする分子なんだし。