定期的に広がるブログ オワコン説。
毎年のように
「ブログは終わった」
「これからはツイッターよりインスタの時代や!」
「YouTube を今からやるのじゃもう遅い」
なんてウワサが広がるわけですが、ブログを書いている僕だって穏やかじゃない。
これから何かあったときにいつでも動けるように、もしくはいろんな意見で右往左往して時間のムダにならないように、大きな流れとしてこんなふうになってくんじゃないか、っていう仮説を自分なりに立てているので今日は整理してみることにした。
SNSの流行りはどこへ行くのか。そして、ネットでこれから流行るものを考えてみました。
目次
ブログはオワコンなのか?
果たしてブログは本当にオワコンなのでしょうか。
残念ながらオワコンです。
いや、まだ話が続くのでもうちょっと待ってください。
まずはオワコンであるという理由から言うと、だってあの「2ちゃんねる」だって「面白FLASH」だって「ニコニコ動画」だって「mixi」だって「Snapchat」だって渋谷の「ガングロギャル」だって、あの頑丈なドイツの「ベルリンの壁」ですらも すべて繁栄し、時代の波に合わせて衰退を辿っていった。
かつては一斉を風靡した「Facebook」だって今の若者は「何それ、おいしいの?」になっているわけで、世の中のありとあらゆるサービス、モノ、文化は止まることはできずに 常に入れ替わり立ち代わり、たまに また戻ってきたりするというもの。
ずっと続いて安泰なものなんてこの世にはない。心の準備は常に必要と思う。
ただし、世の中には「イエス」と「ノー」の2択があったときにその間には無数のグラデーションがある。
ある条件ではイエスだし、ある条件ではノーとも言える可能性が無限にあるということ。
すべての細かい断片を集めて、平均すれば少しずつ他の媒体へスライドしていくというのは間違いないのは事実なのだけれども、一部は残るに違いない。
もう少し詳しく整理してみよう。
人が何かを得たいという欲求を満たすのは「文字」「音」「映像」
今まで流行ってきたものを分析して次は何が来るかを予想するのは難しいので、もっと普遍的な動かないものから考えてみることにする。
それはまず人は情報を得て新しい知識を身に付けたい、という欲求があるのは100年後も変わらない。
だからブログ、あるいは他の代わりとなる何かが必ず残る。
そして現状、人がネットで情報を受け取るための方法は必ず「文字」「音」「映像」のどれか。
ブログは言うまでもなく「文字」に分類される。
今までインターネットで文字が主流だったのは、画像や音声、動画は重くてインターネットに向かなかったというのが大きな理由にあげられる。
WordPress のような気軽に情報発信できるツールやサービスも音声や動画にはなかった。
そんなわけでブログは発信ツールの主流だった。
だからもともとブログが発信ツールとして特段に優れていたわけでもなくて、それしかなかったというところが大きい。
だけども現代ではインターネットはより高速に、スマホやPC端末のメモリやデバイスの性能は格段に上がって文字以上の現実に近い情報を瞬時に受け取れるようになったおかげで技術的な障壁はもうなくて、発信者側とそれを受け取る側がどれを選択するかの好みの問題となってくる。
そうすると今まで文字で存在していた情報が、「音」や「映像」に流れていく。
だって単純に3種類のどれが便利かなーと考えてみるとわかる。
僕の情報を受け取る側としての感覚でいうと、先日 新しい MacBook air が発売されたときは YouTube やSNSを使ってレビュー動画を見ていたし、こないだタイに行った際には前もって YouTube で現地のようすを調べていた。
より現実の感覚に近くてリアルタイムな情報が必要なときは 動画や音声のほうが明らかに便利なのだから、このフィールドでブログで戦おうとするのは厳しい。
ブログで生き残るには?
僕は単純にブログを書くのが好きなので、これを続けておきたい。
でもアクセスが減っていくと悲しいので、ブログにしかない強みを考えるようにしている。
個人的に思うことと言えば、文字は音声や動画と違ってスキップ・巻き戻しが自分のスピードでやりたい放題だということ。ただしのんびり見たいときには音や映像のほうが気持ち的にラク。
特定の分野を本気で細かいところまで学ぶときは文字のほうが早い。
だから専門性の深い複雑な内容は文字が向いているんじゃないかとか。
あとは読後感とか。
この話は「映画より小説で読んだほうがいい」とか あるけどそれ。巧みな言い回しや文字のスピード感で一気に進んだのちに、ラストは気持ちが高ぶって世界が広がったような清涼感を感じられる文章とかあると思う。
文字でしか作れない読後感の気持ち良さっていうのがあると信じていて、そういう文章が書けるようになると強いかもしれないとか。
あと思うのは、WordPress はただのHTML生成ツール。
トップから新着記事があって、カテゴリがあって、各記事を参照していくこの構造を手軽に作り出せる道具なだけなので、この構造はあんまり固執しない。
単純にどうやったら目的のページにたどり着くのを早くできるか、ってことが大事とか。
一から文字が何に必要か考えて、どういう形にすると伝わりやすいかってことが大事じゃないかと思っています。
考え方としては、もともと映像しかない世界があったとして、あらたに文字という便利なものが発明されました。じゃあ文字の強みは? みたいな。
YouTube は実を言うと狙ってた
実を言うと2年ほど前に YouTube やってみてました。
その頃から Google さんは検索上位に動画を食い込ませていて、しかも YouTube のイベントや広告、撮影スペースに予算を割いている以上、これはまだまだ来るし美味しいはず。
だから動画を撮影・編集してアップロードするところまで一通り試してみてたんですが、どうもテンションが上がらなくて続かなかったわけなのですが……。
当時の YouTube はクラスで一番目立ってたであろう方々が人気だったイメージ。
そこに僕が入っても勝ち目ないなあと。
ただ最近では剣術ではなく頭脳派で戦う人もどんどん頭角を現してきてます。
焚き火の映像を延々と流す動画なんてのは、それだけですごい再生数だったりするので。
似たようなので言うと熱帯魚の水槽をずっと流す動画とか。
あと子供向け番組は一回子供がハマったら繰り返し再生されるのですごい再生数だったりします。
睡眠導入の音楽の動画なんかも人気ですね。
そして世界で何億とか再生される動画は決まって音楽PVですね。これは強い。
しゃべりがうまくて顔出しOKのイケメンだけが必ずしも目立っているわけではないので、どこかに入り込めないかなーなんてことはいつも考えたりしています。
次に来るのはなんなんだろう?
もうここまで言ってたらキリがないけど YouTube だっていつか終わる。
次の時代に現状がガラッと変わるキッカケはVRだと思う!
人は目と耳と肌から情報を集めて脳でそれをまとめることで、ひとつの体験として受け取れるけど、これと同じ刺激を人工的に与えてやることで同じ体験ができてしまう。
例をあげると、ディズニーランドでシアター系のアトラクションに初めて乗ったときは驚いた。
昔あった「ストームライダー」とか「ミクロアドベンチャー」では、ほんとにまっさかさまに落ちたり浮遊したり、足元にネズミが走り抜けていく感覚が味わえる。
顔に風や水がかかって座席が傾いたり振動したりすると、わざわざスカイダイビングをしなくても、本当に落ちるのと同じ感覚が、しかも安全に味わえてしまうのだった。
これがあれば地球の裏側だって行けてしまうし、勉強や仕事、飲み会だって仮想世界でできてしまう。宇宙にもいけるようになる。
まとめるとVRによって現実世界と同じ世界が見えるようになる。そこに温度や手触りが加わると、現実とほぼ同じ体験ができてしまう。
これは何も夢物語ではなく、本当にそれが現実になってきているということ!
そうなると今のブログや YouTube の価値が変わるどころか、現実世界の概念が丸ごと変わってしまう力を持っているかもしれない。
まとめ
というわけで話がそれてきたので元に戻すけど、文字がなくなることはないし、音はなくなることがないし、映像がなくなることもこの先おそらくない。
しかし時代が進んでいくにつれて用いられ方が変わっていくので、これをふまえて自分ができることは何かな〜って考える必要があるんじゃないかと思った今日の日記でした。