「僕にはどうせ才能がないから……」
「私はダメな人間だ……」
なんて話をよく耳にすることがあります。
周りにいる人と比較してしまって自分のほうが劣っているとき、どうしても自分はダメなんだとメランコリーな気持ちになってしまいがちなんですが、実はこれってまったくそんなことないんですよ。
才能とは何か? 才能を生かす努力の方法について書いていきます。
才能はスキルと環境がハマって発揮する
例えば僕は英語や社会の授業が苦手でした。
同じ授業を聞いているはずなのに、授業の最後に小テストを受けると20点。隣の友達は90点。
自分は才能がないんじゃないかと思ったものです。
だけど一方 理科や数学はその逆で、ちょっと授業を聞いたらスラスラ解けました。
当たり前だけど 英語の授業が得意な人が、数学の授業もできるわけじゃない。
よく考えてみれば、才能っていうのは自分の適性とそこで求められているものがぴったりハマって初めて発揮するものってことなんですよね!
居場所が変わればいくらでも有利になったり不利になったりする
やっぱり そもそも同じことをやっても全員が同じだけ成果を出せるわけじゃないです。そういうものです。
それでよく「あの人もできてるのになんでアナタはできないの?」って言ってしまったりしがちなんですが、それって本人がただ無闇に苦しむだけなんですよね。
100メートルを15秒で走れる人もいれば、20秒を超えてしまう人だっていくらでもいます。
練習で鍛えることもできますが、もともと体格差も興味も違えば、その人の生まれた場所、親の性格、食べてきたもの、バックグラウンド、何から何まで違ってる。
そのいろいろな要素を掛け合わせてたまたま今ができているわけで、一人一人の結果のバラツキがあって当たり前なんですよね。
じゃあ100メートルを早く走り抜けられなければ人生終わりかといえばそんなわけあるはずもなくて、例えば音楽が得意であれば作曲ができるようになるかもしれない、歌の先生になれるかもしれない、オーケストラの奏者になるかもしれない。
逆に言えば、あんなに世界を熱狂の渦で包んだ世界最速で100メートルを走れるウサイン・ボルトだって、もしパソコンの前でプログラミングをやれと言われたら おそらく世界を相手に戦えるわけじゃない。
考えてみてください。
学生のときに目立ちまくりのイケイケだった人が、必ずしも社会に出てイケイケかって考えたら必ずしもそうじゃないですよね。そしてその逆も。
結局、自分がいる居場所が変われば、あっという間に状況は有利になったり不利になったり変化するものなんです。
だから今たまたまいる居場所の中で才能のある・なしを決めるっていうのは、そもそも大きな誤解をしているかもしれません。
才能はそのときたまたま周りにいる人間の評価
才能っていうのは そのときたまたま周りにいる人間の評価。才能がないと落ち込む必要はひとつもないです。
そもそも才能とかそんなものを考えるよりも、周りから評価される活動ができているのかな? ちゃんと役に立つことをできているかな? 誰かの困っていることを解決できているかな? ってところが大事なんです。
それができてはじめて才能として評価されるんですね。
自分のスキルがパズルのピースとすれば、居場所(または時代)にハマって初めて才能を発揮するものなんです。
スキルを上げて居場所を探そう
じゃあ僕らは何ができるかなって話になるけど、それはスキルを上げること、居場所を探すこと(またはタイミングを見定めること)しかありません。
僕らには誰か困っている人を助けるための脳みそや身体があります。誰かができないことができるようになるためにスキルを上げていきます。
そして困っている人を探すための足があります。自分のスキルが発揮できる居場所を探します。
自分と居場所(時代)をマッチングさせていこうってことなんですよね!
自分の才能を魅せるのがうまい人はこのパズルの組み立てが上手。
だから才能がないと悲観的になる必要は1ミリもない。その代わりに努力すべきところをちゃんと理解してそこを頑張ったらいいよー! って話でした!