例えば転職するときによく「辞めるのは甘えだ」とか「転職癖がつくから気をつけたほうがいい」とか「世の中は甘くない」とか言われたことがあるのだけど、転職経験を重ねていくうちに気づいた法則があって、そういうことを論じる人は自らそれを経験してないことが圧倒的に多い。
とか考えていたら、そういえば自分も昔は同じだったなーと思った。今だからこそ意味がなかったと思うんだけど。
「知らない」は残酷
思ったのは、転職に限らずだけど 自分と関係ないことはいくらでも想像を膨らませて高みから好き勝手な理屈を並べ立てることができるということだ。強いなー、そりゃ無敵だよなー、ずるいよなー。
「知らない」って残酷だ。
そして あとになってから講釈をたれて話していたことがそのまま自分に跳ね返っていたりするもので、そんなのを見てしまうと自分はこんなダサい大人になりたくないな、と思った。
けっきょく根拠のないものを他人に主張して攻めたところで、それが未来の自分自身を狭めることになったり可能性を減らすことになりかねないということじゃないだろうか。
宇多田ヒカルの話
2010年に宇多田ヒカルが活動休止を発表したとき、
「マネージャーなしじゃ なんにもできないオバさんになりたくなかった。」
「普通に自分で全部光熱費を考えたりとか、月何万で生活して 帳簿つけて やりくりしてとか、誰でも当たり前にやってることを今まで一回もしてない。15、6とかだったら かわいいけど、どんどんイタイ大人になっていくのがかっこ悪いなー。」
っていうのを聞いて当時はそんなものなのかなーと思っていたけど、今はちょっとわかる気もする。
別に知る必要のないことまで知る必要はないとは思うのだけど、少なくとも他人に知らないことを指摘するのはダサいと思うし、僕は上から下まで全て知りたい。人間としての幅を広げていきたい。世の中のことをもっと知りたい。
だからできるときにたくさん動いて できる限り知らないことを知る経験をしておきたいなと思うようになった。