毎日 暇していたい。時間がない、忙しい人のための暇人のススメ

日中はブログや株のチャートを見て過ごしてるって話をしたら、

「暇じゃないの?」

ってなることがあって、逆になんでそんなに忙しくしなければならないのかと思うことがある。

 

忙しくしてたい人がいるのもわかる。それに対して否定はない。

しかし誰もが忙しくしていなきゃならない雰囲気はもうそろそろ絶滅してくれないものだろうか

 

僕は間違いなく暇だ。だけど暇でも別にいいじゃんって言うようにしている。

暇になるためにこの生活を始めたのに、いざ時間に余裕ができたら周りの同調で何かを始めないといけない気がしてくるのは違う。こっちはロボットなんかじゃない。

 

よく「どうせ暇だったら空いた時間は他に何か仕事でもすればいいんじゃないか」って話になりがちなのだけど、それは違う。

空いた時間に詰め込んだタスクが生み出すのは小金くらいで、暇な時間のほうがよっぽど人類にとっても社会にとっても大切なんじゃないだろうか。

 

「せっかくならちゃんとやろう」とスピードを落として、「どうせならついでにこれも」で質を落としていく。

日本人のモノに対するもったいない精神を行動にまで反映すると、みすみす本当に必要だったものを逃してしまう。それこそもったいない。

時間が空いてるから他に何かをいれなきゃいけないことはなくて、これからは暇になっていかなきゃならないくらいだ。そんな嫌な作業で忙しくロボットみたいに動き続けるために生まれてきたんじゃない。

 

なんだか暇が悪みたいなものでとらえられがちだけど、そもそも小さくて何も知らない頃はみんな暇だったのだ

幼稚園の頃は友達にイタズラしたり、ケンカしたり、余計なことをして怒られたりしたし、小学生になってからは お年玉で買ったパソコンにはまった。好きな子もできた。あの頃だっていつも暇だった。

 

それがいつしか社会人になって、行きたくもない会社に行って、好きでもない作業に明け暮れ、広げたくもない人脈を広げて、上司の付き合いで飲みに行く。

暇じゃなくなった瞬間 好きだったものからすっかり離れてしまって、ストレス発散のために本当は必要のなかったものを消費していく。

むやみにふざけたらいけないし、人に愛想を振りまかないといけないし、恋愛をする時間なんてなくなってしまった。

大人を演じるあまり、人間からすっかり離れてしまったのだった。いったいどこまでいくんだろう。

 

だいたいこんなにモノがありふれて飽和した日本で、昔と同じくらいの生産力が必要なはずないのだ

だけど必要もないのに同じモノを大量生産しようとするものだから、無理やりモノを売りつけて必要以上に消費して、働く人たちは辛くなって、余ったモノを大量に廃棄して地球全体の調子の悪さが加速していく

 

もうすでに恵まれていることには気づいたほうがいい。

先人が築いてきた便利な社会に感謝して、僕らは新しいものを模索して楽しんでいればいいと思う。

余裕の中で生まれる作りたいものや学びたいこと、やりたいことこそが本当に自分のやるべきことだ。

僕らは幸せになるために、誰かを助けるために生まれてきた。

そのために必要なのが暇な時間なのだと思う。