仕事や人付き合い、恋愛がめんどくさい心理。不安を解消すると行動力を失う、という話

意外にもこのブログでよく読まれるのは、日常の掃き溜めを綴ったどうでもいい記事だったりする。

頑張って1日かけた記事よりも、10分ほどでわーっと書いた文章のほうが読まれるのも皮肉だなあと思いつつ、実際はうれしい。

 

だからこそ魂を込めた掃き溜めを今日も書いていきたいと思うのだけど、常に降ってくることはない。

いくら通りすがりの人が一瞬チラ見していくようなゴミのような掃き溜めだったとしても、書くのは簡単じゃないのだ。

 

やる気はあるのにたまに文章が書けなくなるときがあって、今日もそうなのだけど、そういうときは体調もよくて わりと穏便な感情の中にあるときだったりする。

そうか、僕のブログは社会や日常の不平不満からできているんだな。不安な気持ちから人は突き動かされるんだな、とつくづく思う今日この頃。

 

昔テレビで紳助さんが、

「70パーセントの自信が勇気をくれる。30パーセントの不安が努力をくれる。」

って話をしていて今ならこれがよくわかる。

現状に満足した瞬間に身体はそこで止まるし、少し不安があるからこそ「ああ、このままだとヤバい」と思ってジタバタできるチャンスがもらえる。

 

今日、僕が服を着替えるのにも ご飯を食べているのにも 外に出かけてみるのにも 歯を磨くのにも 寝る前に YouTube をダラダラ見ているのにも すべて何かしらの不安が重なっていて、それがひずみとなって毎日の行動を支えている。

もしもお腹が空かなくなって気分が落ち込まなくなって虫歯にならなくなったら、一日中布団から出ずに寝ていそうだ。

 

だから適度な不安はあってしかるべきと思うのだけど、それにしても人に嫌われたくない、認められたいという自分の中に常にあったはずの浅ましさが減ってきているせいで、それによって支えられていた行動力が年々 失っていく。仕事や人付き合い、恋愛、何もかもが めんどくさいという感じになっていく。

年を食って安定するというのはこういう感覚なんだろうか。どんどんダメになっていく。

不安を解消するほど やる気がなくなってダメになりそうな感じがするというのは皮肉だけど、やっぱり人には適度な不安のある状態がニュートラルなんだなということに落ち着いた。

 

年をとりたくない、もっと浅ましくありたい、ブログを書いていきたい、不安だな。次はいったいどうなっていくんだろう。