会話をしていて
「職場はいい人たちばかりで楽しい」
とか
「バイト先はめちゃめちゃ大変で辛いけど楽しい」
とか、とにかくむやみやたらに楽しいを連発しているのを見たときに、本当なのだろうかと思うことがある。
僕の心が腐っていて そういうのを疑ってしまうのだけど、でもあとから振り返ったときに「あのときはほんとは辛かった」とか言っていたりするので やっぱり正しかったことのほうが多い。
そのたびに、我慢しなくていいのになあと思う。
かといって愚痴ばかり言っている人とは あまり一緒にいたくないと思われてしまうこともあるのは確かだし、「愚」と「痴」の字面からは いかにもというほど醜悪な感じが滲み出ている。世間ではあまり良い評価を持たれていないようだ。
だから人を選ばないといけないけれど、別に愚痴なんて言ってもいいんですよ。
自分に溜まった不満は必ずどこか行き場が必要で、それは自分の原動力に変えるか 声に出すか 時間が経って忘れるのを待つかしないと取り去れない。燃やすか出すか消すかのどれかだ。
一番良いのは溜まった不満を自分の原動力に変えることだけど、すべてをそれで洗い流すのは難しい。
だから時が経って体から抜けていくのを待つか、それをもっと短縮するなら声に出して誰かに話してみることだ。
愚痴は決して悪いことじゃない。
むしろ大事な人から弱みを見せてもらえるのは嬉しいものだし、悩みを共有することで相手と距離が近くなれるという利点もある。
そして一番 大事なのは口で発散しても、それを自分の原動力に変えるということだ。
特定の相手について不満を並べ立てて言っただけでは、それはただの悪口になってしまう。
もし仮に、例えば100パーセント自分の上司が悪かったとしましょう。
だけどそれでも何かを変えるためには、少しだけ自分のせいに置き換えて考える。
無理やりでもそうすることで起きた物事を考えるようになり、自分が成長していくんです。
相手の悪口ばかり言って相手に期待しててもムダだし何も変わりません。そんなのシャクじゃないですか。
「どうせアイツが悪いんだよな」「自分は悪くないんだよな」「俺たちすげーよな」って愚痴っておいて、リセットすればいい。だけど自身を肯定できた次には、
「自分の悪いところはなんだろうか?」
「どうやったらうまくいくんだろう?」
「こういうときはあの人だったらどう切り抜けるだろう?」
ってところに転換するのが大事なんです。
だから自分の成長の一歩を踏み出すための愚痴は我慢しなくていいんですよ。
悪口と愚痴には大きな違いがあります。
ストレス溜めずに発散していきましょ〜。そして成長あるのみ!