こないだ1年ぶりに知り合いが東京に遊びに来るというので、新宿の外れで飲んでいた。
「最近どう?」
みたいな定型文から始まると、最初から仕事の話になった。
どうも今の仕事が合っていないらしい。
たしかに聞いてみると合っていない。
そもそも自分の興味がなくて難易度のかけ離れたことをずっと繰り返しているようだ。
やる気がないからいつも上司に怒られ、ことあるごとにいろんな部署に飛ばされ、言われるがままに毎日を会社で過ごしているらしい。
1年前も同じ話をしていた気がする。転職はずっと考えているそうだ。
「転職しよう」と言ってみた。
そうしたら、「親が許してくれない」「まずは資格をとらなきゃ」「給料が下がらないところがいい」ってことらしい。
たぶんこのままでは一生転職できない。なによりずっと「転職したい」と思いながら働くのは不健康なんじゃないだろうか。
だけど僕も偉そうには言えない。5年ほど前まで同じだった。
受験、就職、転職、それですべて人生が決まってしまう。1個でも道を踏み外したらヤバいんじゃないか、って不安が漠然とあったからその気持ちはよくわかる。今だからこそどうでもいいって思うんだけど。
僕が変わったのはやっぱり実際に「転職してみた」からだし「独立してみた」からだ。
それまでは資格がないとヤバいとか、昇進して給料を上げないとヤバいとか、別にやらなかったとしてもヤバくなることはないものになぜか尻を叩かれてた気がする。
なんかフォーマットを外れたら恥ずかしいとか、自分はもっとちゃんとできるとか、そういうプライドがあったんじゃないかと思う。
だからそういうものが恥ずかしくない世界に自分を持っていくしかない。
それはもっと広い世界に出ていくことじゃないだろうか。
そうするといろんなことがバカらしかったんだなあと、あるとき初めてわかるときがある。
有名な飛べないバッタの話がある。
バッタをバケツに入れておくと、そこから出ようとバッタは飛び跳ねて時間がたつにつれて一匹残らず逃げていく。
だけどしばらくフタをして置いておくと、フタを開けてもそのバケツの高さ以上飛べなくなってそこから出ていかなくなる。
人生だってこれと同じだと思う。
生まれたときからバケツの中にいてその場所に慣れてしまっていると、外の世界を知らなかったら飛び出られない。
もしかするとバケツの外は灼熱のマグマのような気もしてしまって怖いからだ。
こうして外がない前提だから、自分が今見える枠組みの中でものごとを解決しようとする。
そうすると資格とか親が出てくる。もったいない。
だけど実際はそうじゃなかった。
楽園まではいかないけれど、バケツの外はただの芝生だった。
そして、受験、就職、転職、資格、お金、チャンスといったものは誤差でしかなかった。
もちろんそういったきっかけも大事だし、振り返ってみるとそれが結果的によかったってこともあるけれど、それは出ていったからこそ用途がわかる。
そんなことを考えていると、
「でもね。仕事が辛くても週末に東京に来て好きなアーティストのライブを聞くのが楽しい」
って話を聞いた。これだけで仕事が頑張れるそうだ。
だったらそういう生き方もありなんじゃないかと思う。
だけど、
「今より年収が100万円下がったら その楽しみはできなくなっちゃうの?」
って聞いたら、
「実際 変わんないよねーアハハハハ」
ってなって店を出た。
おかげでそのあと2軒ハシゴする羽目になり、好きなアーティストの話を夜通ししてた。
新宿の街は陽気で明るい。未来も明るい。