僕が小学生の頃は、学校までの道のりを片道1時間、歩いて通学していた。
往復で2時間、毎日 小旅行のような感じ、とはならなくて、途中にコンビニやマクドナルドもない田舎の代わり映えのしない野道をひたすら歩いていく苦行を行っていたんだけど、あるとき一緒に帰り道を歩いていた友達がこんなことを言いだした。
「ああ、まだマサラタウンか〜。トキワシティまではまだまだ遠いなあ。」
マサラタウンやトキワシティは当時流行っていたポケモンのゲームに出てくる街の名前だ。
ストーリーに沿って次々と街を移動していくんだけど、ゲームの中の主人公になった気分で歩いていると、たまにすれ違う車がモンスターのように思えてきたり、草むらの影からモンスターが飛び出してくるような気がしたり、そして早く次の街のポイントに到着してストーリーを進めたいという気持ちになってきて、なるほどな、と思った。
その日から僕も真似をして、帰り道を退屈にしないためのライフハックを楽しむようになった。
これから学んだことは、嫌な労働は全部ゲーム化してしまおう、ということだ。
同じ作業でもちょっと考え方や視点を変えるだけで、驚くくらい苦痛が和らぐことがある。
道を歩いているサラリーマンに「仕事は好きですか?」と聞いたら、イエスと答える人は1割くらいなんじゃないだろうか。
だけど、そういう人たちにあるRPGゲームを1ヶ月間やってもらって、「このゲームは好きですか?」と聞いたらイエスと答える人はこれまた1割だろう。
よく考えてみればゲームだって労働の一種だ。
いくらゲームといえども好きな人にとっては遊びでも、嫌いな人にとってはレベル上げは苦痛を伴った反復作業で、ただの労働でしかない。
言い換えれば仕事が嫌いと答える9割の人は、限られた人生の時間をつまらないゲームのプレイに費やしている。
そういうゲームをプレイしている人は、さっきのポケモンの話みたいに自分の好きなゲームの世界に切り替えてみたらだいぶマシになることがある。
そして遊びはいわば好奇心から生まれた暇つぶしの労働だ。
体が欲している作業は遊びになるし、他の人にとっては労働になるかもしれない。
逆に多くの人から見たら労働であっても、心からそれが好きな人からすれば遊び感覚でやれることかもしれない。
だからそういう好きな仕事が実際にあるということだし、考え方で遊びに変わるかもしれないし、遊びと重なる仕事に出会えたら幸せということだ。
道を歩いていると たまに、奥の角を曲がった先の世界は実は存在してないんじゃないかと思う。
今 眼に映っている世界は自分の視線から見える範囲しかないハリボテで、自分が角を曲がったときだけその先の世界が現れる。
自分は誰かが作り出した世界の実験のサンプルなんじゃないだろうか、と思ったりするのだ。それでもいいけど。
そう考えれば人生もただのシミュレーションゲームなんだし、どう駒を進めるかは自分次第なんだから、もっと楽しく生きようと考えるしかない。
だから人生をゲーム化してしまおう。