地元に帰省すると よく親戚のおばあちゃんの家に寄っていくのだけど、いつも忙しそうにしている。
この正月も、知り合いに年始のあいさつをしたり、掃除をしたり、僕の実家に魚を送ったとかどうとかで 休む暇がなさそうだった。
僕にも顔を出すたびに毎回、お菓子を出してくれたりご飯を作ってくれたり、歓迎してくれるのにはいつも感謝しているし、小さい頃からだいぶ世話になったもので、だからこそ80にもなった今は ゆっくり老後を過ごしてほしいとだけ願っているけど、どうもそんな簡単なものじゃないらしい。
考えても見れば、おばあちゃんはその家でたくさんの兄弟や仕事に関わっている人たち大家族のお世話をしながら、終戦後の時代を生き抜いてきた。
昔から商売をやっている家で、いわば会社の経理のようなこともやってたそうだ。
景気の良いときは寝る間も惜しむくらい働くしかなかったそうだから、家のことでさぞかし忙しかったに違いない。
そんなわけだからだろうか、趣味も物欲も食の好みもあんまりなくて、今でもいつも人のお世話ばかりしているように思う。
今まで忙しくしていて自分の役割を全うしていたのが、急にやることがなくなると、どうしたらいいのかわからなくなってしまうらしい。
人生って難しい。
前置きが長くなったけど、「人生は死ぬまでの暇つぶし」って名言はほんとに正しいと思う。
人生ってよく考えれば必死になってあれこれやっていくうちにいつの間にか時が過ぎて、あっという間にお迎えが来るようなものだ。
目的なんて実際はとくにない。
もちろん国や会社に所属していれば、全員の目線を合わせるために目指すべきものに少なからず従う必要はあるけども、自分の人生の本質とは違う。
生きる意味なんてとくにないし、仕事なんかは暇つぶしに過ぎないのだ。
だからと言って生きててもしょうがないというわけじゃなくて、もっと楽しいことや自分が体が本当に勝手にやりたいと思うものを見つけて夢中になってるだけで良いのだと思う。
もちろん世の中に貢献したり、人のためになるように目的を持って最前線で走るのもそれはすごいことだし、それがやりたくなったら絶対やったらいいし、逆に向いてないなら他の仕事を探せばいい。
そうして死ぬまでの数十年間の暇をつぶしていれば、あっという間に勝手に終わる。
結局ボーッと1日を過ごしていることはできなくて、自分の没頭できることに取り組んだり、誰かから認められたり、寂しさをまぎらわしたり、何かしら自分の心を満たしてくれるものに はまってなければ充実した生活は送れない。
それを手っ取り早く満たせるのが仕事ということだ。
自分を社会の一員だと肯定できて自信がつくし、周りから認められたり、仲間が増えたり、昇進したりと、生活しながら人生を生きる上で必要な欲求が得られる。ただそういう属性を持ったものであるというだけだと思う。
というか、人生大変だなーと思ったらそれくらいのものに考えとけばいいんじゃないだろうか。
そう考えると恋愛も同じで、お互いの欲求を満たしたり世間から認められたりするためだったり、人のDNAに刻まれた子孫を残すための反応だったりするのだから、ある意味仕事と同じだし、逆に仕事は恋愛とも捉えることができる。
だから仕事が充実していれば恋愛はしなくていいかもしれないし、恋愛が充実していれば仕事はつまんなくていいかもしれないし、どっちも充実してればもっといいかもしれないし、そもそもどっちもやらなくても他に道があるかもしれない。
それくらい人生は多様で、いろんな人がいて、混じり合った結果、少しずつ変化していく。
宇宙レベルで言ってしまえば何十億年あるうちの一瞬のきらめきにすぎないただの点でしかなくて、その中で人がなぜか生まれて暇をつぶしながら消えていく。
なんだか大げさになってきたけど、本当にそれくらいラクに考えると結果的に良い人生が送れるんじゃないかということだ。
自分レベルで考えたら、死ぬ瞬間に「ああ、この人生最高だった」と思うか、「人生つかれたけどもう楽になれる」のどっちかで終わってリセットボタンが押されるだけなのだから。