こうして僕は好きな仕事と出会った。適職な仕事、適性に合った職業とは?

僕は7年間くらい会社勤めをしてきたんだけど、普通に働いててもなんかつまんないし楽しくなかった

たぶんその半分くらいは死んでたようなものだ。

 

他の人より頑張ることが途中からできなくなってきていて、これ以上ここで戦うのはなんかおかしいと感じ始めてた。

これはやばいってなって株を勉強し始めたり、ブログを書き始めたりしてみたもので。

 

僕が今、武器として使ってるブログや株、そしてプログラミングは全て自分がやりたいことだったり、自分が戦える場所を広げるためにやってきたことだ。

後ろの足場が崩れていって行き場がなくならないうちに、反対側の足場をあらかじめ固めておくイメージ。

 

僕の場合は人より後ろの足場が早い段階で崩れてきたのがわかった。

あのとき辛いとか、もう辞めたいとか、逃げ出したいとかっていう気持ちがなかったら今の生活はなかったと思う。

だって普通に働いてても支障がなければ何もやらなかっただろうし、やる必要もない。

 

心の奥のどこかに違和感みたいな、しこりみたいな、なんだか気持ち悪いものがあって、それを削り取るためにがむしゃらだった。

常につきまとうコンプレックスみたいな弱みがガソリンで、平日はどんどん体に溜まっていくものだから、土日はそれを発散するかのように燃やした。

 

だからブログや株を始めるきっかけと言えば、

「なにくそ! 負けてたまるか!」

とか、

「この生活から抜け出したい! オレが変えてやる!」

みたいな闘志が湧いていたわけでもなく、青白くて弱い炎がくすぶって焦ってるんだけど、冷酷で冷静な気持ちから生まれたと思う。

 

中途半端になんか楽しくないなーって思いながら、だらだら人生を歩んで行くよりは、ほんとに辛くてこのままだとヤバいみたいなムチを打たれて突き動かされるくらいのほうが、熱の入り方が違って、どこかで人生逆転するんじゃないだろうか。

だから人となんかおかしい、なんか違うんじゃないか、普通のことが当たり前にできない、コンプレックスっていうのは、ある意味 好機に恵まれてるんじゃないかと思う。

 

あと、もうひとつ、ガマンしてやるっていうのは、もはや違う

会社のために、お国のために頑張るみたいな雰囲気は、それは経済が発達している日本だったからこそ生まれたものだ。あのときはそれでよかったんだと思う。

 

だけど今 状況は違う。

自分の得意な場所で戦ったほうが、有利な場面が増えると思う。

 

僕の場合はおそらくこれから先、苦手な会社で働こうって気にあんまりならないだろうし、得意じゃないことで頑張り続けるみたいな精神論は生まれてこないだろう。

逆に言えば、そっちはもう諦めたというほうが正しいかもしれない。

もちろん自分の視野を広げるために、新しいことに挑戦してみることはあるかもしれないけれど。

 

どっちみち、あえて自分から突っ込んでいこうとはしないだろうし、今は頑張りたいものが目の前にあるからそれでいいのだ。

一例にすぎないけれど、自分の人生を生きやすくするために、自分の得意な戦い方をコツコツ増やしとくのはありなんじゃないだろうか。

 

そんなことを考えながら戦ってきたら、投資やブログだけで生活できるようになった。