やりたいことがわからない人が苦しまなくていい理由【夢がない若者、夢が見つからない学生へ】

やりたいことなんてなくてもいいと思う。

社会に出ると、「夢がないのはよくない」だとか「将来なにをやっていたいか」なんてことをよく言われるのだけど、そんなこと気にしてどうするんだと真面目に思う。

 

確かに目標を持つことが大事なことなのはわかる。

ヒトはいったん安定してるところに落ち着いたらなかなかそこから動けなくなる生き物だし、夢があるほうが同じことをやっていてもメリハリがつく。なにより夢を語り合うことは楽しい。素敵なことだと思う。

夢があるのは良いことだ。

 

ところが僕は昔からやりたいことがなかった。

小学生の頃、将来の夢を教室の後ろの壁に貼り出すことになったとき、時間内で思いつかずに家に帰ってなんとか絞り出して書いた記憶がある。

みんなは消防士とかお医者さんとか花屋さんとかハッキリとした憧れがあって、将来のことがもう決まっていてすごいなーと思った。

 

だけどそんな僕もいつしか初めてパソコンに触れ、プログラミングを知ってから何か漠然とウェブに関わる仕事に興味を持つようになって、実際にそのような会社で働くようになった。

きっと僕の夢は今のような会社に働くことだったんだ、そして今その夢が叶ったんだ、と思って安心していた。

 

そんなとき上司との面談で「将来の夢はなに?」と聞かれ、再び小学校の記憶が蘇ってきた。

「実はもう叶ってるしこれ以上ないです」と言いたかったのだけど、なんとなくそれが恥ずかしいことのような気がしてなにも答えられなかったために、「何にも考えてないじゃん」と言われて少し悲しくなった。

 

目の前にパソコンがあって、そこで何かを作ってみんなに見てもらう、それが仕事にできているだけで僕は幸せなはずなのに、「ユメ」というものを持っていないせいでとやかく言われることに心が晴れない。

 

いつまでこんな「ユメ」に踊らされないといけないのか。

そもそも夢なんて作るためにあるわけではないし、欲求を叶えるためのひとつの手段にすぎないのではないか。

 

変化の激しいこの時代に、自分がこの先なにをやってるかを決めてしまってる方がよっぽど物騒だと思う。

今は高度経済成長みたいな未来が待っているわけでもないし、すでに最低限の家と食べ物と娯楽があって、それなりに恵まれている状況にいる人間が、もともとない夢を持とうと努力するのは本末転倒にもほどがある。

 

ちなみに株などのトレードの世界であれば、伸びしろが出尽くしてチャンスのない場面になると、次の大きなチャンスまでひたすら待つという作業がある。

そして自分の売買にとって有利な条件が揃うまで何ヶ月でも何年でも影を潜めてじっと待つ。業界では「セットアップ」と呼ぶらしい。

 

しかし普段の生活においてはセットアップの時間なんてわざわざ用意してはくれない。

自分の不利な状況でもとりあえずなにかしら働いていなければならないことが多いだろう。

そんなときに必要なのは、夢じゃない。無理に夢を持とうと思わなくても、あえて今目の前のことだけ考えて楽しもうとするとか、いまの時代に合ったそれ以外のアプローチがあるはずだ。

 

しかし現実ではセットアップの条件が揃ってないにも関わらず、「今の若者は夢がないなんてダメだ」なんて言われたり、たくさんの自己啓発本やメディアに一方的に背中を押されたりして、これって実はかなり暴力的なことなんじゃないか。

こうして「僕は私は夢がないから見つけないといけない」と夢探しに翻弄される。

そんな夢は夢じゃない。

 

自分が今本当にそれがやりたくて仕方がなくて、そういう感情が呼び起こす肚の底から湧き上がってくるものこそがその人にとってやるべきことだし、夢になりうるものだと思う。

だから「夢を考える」みたいな過去の産物にとらわれなくても、上澄みだけを拾って夢に固執する必要もなくて、今楽しいと思っていることをどんどん伸ばして、いろいろやってみたらいいのではなかろうか。

 

僕は今でも夢はないし、なくてもいいと思ってる。