近所の食堂でランチを食べていると、たまたま隣にいた女子中学生2人がこんな話をしていました。
将来のことを考え始める年頃からこんなことを思うようになって、これは大人になってもつきまとう悩み。
幸せとは何か?
本当の幸せってなんだろう?
社会人になってから現実を知り、
「オレは底辺で頭も良くないし、何もできないし、安月給だし、もう人生終わってる……。」
なんて考える人もいます。
果たして幸せはお金持ちになれば解決することでしょうか?
僕の身内の話
地元の僕の身内で、町の小さな定食屋で働いている50代の女性がいます。
今では2人の子供も大きくなって家を巣立っていき、こじんまりと生活していました。
そんな数年前のこと、その女性は仕事がうまくいかず、楽しみも何もなく、毎日お酒を飲んでは気を紛らわすだけの生活が続いていました。
たまに連絡をとっていたためにこんな状況なのを知っていたのですが、辛い思いをしていることは電話の向こう側にいてもわかりました。
そんなとき、飲みすぎて酔っ払ったせいで、用水路に落ちて大ケガをしてしまいました。
数日の入院くらいでことなきを得ることができたそうですが、それからは幸いにしてダンナの理解もあり、仕事をしばらく休むことにしたそうです。
それから1年後、久しぶりの電話先の声は、人が違ったように明るくなっていました。
話を聞いていると、あれから職場を変えたとのこと。
そして、仕事が終わってからは週に2回ほどパチンコにいって、それがストレス発散になっているとのことでした。
まったく人が違ったように変わっていたので驚きました。
質素な暮らしぶりは変わっていないし、何か生活スタイルに大きな変化があったわけでもありません。
しかし、ケガをして休んだ期間にいろいろと考えたそうです。
職場が変わったことで自分と考え方が似ている人が多くなったこと、パチンコという小さな楽しみを見つけたことが自分の気持ちを変える大きなキッカケとなったそうです。
「パチンコ店の前でおじさんと一緒に私が並んでたら、たまに変な目で見られることもあるけどね〜(笑)」
なんてことを言いながら笑っていました。
それも職場では笑い話にしてくれて、そんな味方がいるおかげで人の目は別に気にならなくなったそうです。
僕は本人ではないのでわかりませんが、幸せそうだな、と思いました。
こうやって聞いていると、周りの理解者の存在が自分を幸せにしてくれるのだと思いました。
でもその人は
「人生、お金がすべて!」
とも言っていました。
僕は違うかなと思って反論してしまいました。
でもその人曰く、
「その日暮らしで将来もどうなるかわかんない状態で行き当たりばったりの生活だよ。」
って話もしてくれました。
僕は結婚もしたことないし、幸いにしてそこまでのギリギリの生活になったことがないので、そんなこともあるのかもしれないと思いました。
確かにそれだったらお金がすべてって言うのもわかるような気がしました。
確かにお金があればもっとパチンコに行けるし、他の趣味もできるかもしれないし、将来の不安からは少しラクになれるかもしれません。
幸せになるうえでは最低限のお金もあったほうが良いというのはわかります。
だからその人にとってのさらなる幸せを求める手段にお金が出てくるのかもしれません。
だけど、少なくとも数年前と今では人柄が打って変わって幸せそうに穏やかになっているのは、お金が変えたものではありません。
まぎれもない周りの人間が変えたものでした。
お金持ちになったら幸せ?
じゃあお金持ちになったら幸せでしょうか?
自分の欲しいものが買える。やりたいと思っていることができる。
確かにお金は幸せを感じるひとつの手段のようです。
だけどさっきの女性の職場仲間のような、周りに味方になってくれる人がいない状態でお金持ちになっても幸せは感じていられるでしょうか?
果たして自分以外のすべての人類がいなくなったら、高級マンションにわざわざ住むでしょうか?
お金があったら、便利な立地にあって設備の整ったきれいな家に住めるというのは確かに良いです。
しかし、別に都内の高級マンションの最上階である必要はありません。それは周りの人から認められるから、他より優位に立てる感じがするからというのもありそうです。
お金があっても孤独で幸せそうじゃない人はたくさんいると聞いたことがあります。
そんな人はお金で築いた地位や権力で周りに認められようとするそうです。
本当はお金じゃなくても満たされるはずが、心が空いているために何か別のもので補おうとした結果、地位や権力によって人より優位に立つことで心のモヤモヤをなくそうとします。
そんなもので埋め合わせた幸せは、一時的には満たされてもいつかどこかで必ず崩れます。
その状態を幸せかと言ったらそうじゃないよなあと思います。
実際に僕の小さい頃、貧乏で何もない実家の田舎で生活していた頃でも十分な幸せを感じることができていたし、大人になって少し経済力がついたからといって、あのときよりすごく幸せかと言われたらそんなわけでもありません。
投資をやり始めて、経済的に少しゆとりがでるようになった今でも、さらにお金を稼げるようになったからといって幸せが増すわけでもないなあ、と感じるのは同じです。
考えていけばいくほど、お金で得られる充実感は限定的なことに気がつきます。
周りの強い存在
とくに僕の場合、幸せはお金じゃないと断言できるのは家族や周りの友達が支えてくれているおかげかなと思っています。
今でも定期的に会う友人は面白いし、家族、親戚は、みんな帰省するときに迎え入れてくれます。
これに関して僕は恵まれていると思います。
そうじゃなかったら、別の方法で自分を肯定するしかなかったかもしれません。
中学を卒業して遠くの学校に入学し、初めて実家を離れて暮らすことになった最初の頃、なかなか思うように友達ができず、とてもさびしくて辛い思いをしました。
しかし、実家からは
「辛くなったらいつでも戻ってきていい。」
という話を聞いていたので、その言葉が本当に救いでした。
最悪、どうなっても最後の砦がある。
これだけで自分を保っていられるものです。
なぜか根拠のない自信を持っていたり劣等感を感じにくい人がたまにいますが、それは周りからの愛情をもらって育ってきているからだと思います。
そして、誰にも認めてもらえないときや余裕がないときに、地位や権力、誰かを陥れることで自分を肯定するような場面を何度か見てきました。
人はやっぱり社会的であり、誰かと繋がろうとするし、誰かと繋がって愛されていたり認められていたりするときが一番幸せです。
初めて沖縄に行ったときに感じた不思議な幸せ
これ以上何もいらない、と初めて思ったのはそのときに付き合っていた彼女と沖縄に行ったときのことでした。
本島を車で北に走らせると、一面のキレイな海が広がっていました。
なにもないところでボーッとしているときに、こんな幸せなことはないなあ、本当にこれ以上何もいらない、と大人になって初めて感じました。
これが幸せの絶頂かもしれないと本気で思いました。
近くのお店に入ると、そこにいる人たちはみんな暖かくて優しく、良い車に乗っている人や着飾っている人は誰もいなくて、ありのままの姿を見せていました。
これが本当に幸せそうに見えてしまったし、自分も幸せでした。
お金、権力、仕事のしがらみ、人混み、誰かと比べること……周りにそれがなくなると、あっという間にすべてのストレスがなくなり、悩んでいたことがバカらしくなりました。
周りの環境でこうも感じ方が変わるものかと思いました。
そうすると幸せって自分の思い込みなのかもしれないし、周りの人がそう思い込ませてくれるのかもしれません。
その状態を作るためには人から感謝されることをやって、相手を受け入れ、認めていくことじゃないかなあと自分なりに思うようになりました。
自分を愛して、人から愛されることが幸せに繋がる。
深く認め合えるほんの数人の味方がいるだけで、見違えるように人生が変わると感じます。