1話目はこちらです。
それからしばらくの間、悩んでいました。
あんなに恋い焦がれていた会社に推薦できなくなったとなると、唯一の心のよりどころがなくなったも同然でした。
それでもリストにある他の会社を選んでしまえば、こんな楽なことはありません。
でもこうなった今、他の会社をみてもまったくやる気がわかないのです。
冬休み、将来について考えた
冬休みに入ってからも依然として
どこでもいいから早く決まってしまえばいいじゃん
とすさんでいました。
休み明けにはエントリーシートを書かなければいけません。
もちろん自分でもこのままではいけないのはわかっています。
でもどうしてもあきらめきれないのでした。
今思えば本当に大したことなかったのですが、このときは新卒で入った会社で人生の全てが決まると本気で思っていました。
ちなみになのですが、両親は2人とも会社員です。
そして田舎で生まれて田舎で暮らし、都会に出たことなんてありません。
そんな親を見て、
安定した会社に就職して、誰かのもとで、ひとつの会社に長く働き続け、地道に暮らしていくのが正義だ
という考えが植え付いていました。
もちろんそれを直接言われたわけではありません。
しかし小さい頃から見ていると親は毎日必死になって小さな工場や小売店で働いていた記憶があり、これが全てだと思っていました。
もちろんこれを否定しているわけでも親のせいにしているわけでもなく、今思えば親も自分もわからないことが多すぎて、他に選択肢を知らなかったのかもしれません。
ひとつのことに依存するというのは怖いです。
それで全てが決まってしまうと思って自分を狭めていきます。
知らないというのは幸せなことでもありますが、場合によっては不幸を招くこともあります。
ただ、他に選択肢がないおかげで良かったのは、もうこれで後がないと思えたことで必死に就職活動に全神経を集中させることができたということです。
自分の将来についてここまで必死に考えたことは後にも先にもありませんでした。
そうだ、自分で面接に行こう
前にも話したとおり、高専の場合は就職先リストから企業を選んで推薦してもらうという流れが一般的です。
しかし、たまに自分で応募して内定をもらう人もいました。
中には高専から警察官になった人も現に存在するのです。
僕も同じように推薦を使わずに、自分でその会社に応募しに行くことにしました。
今思えば、高専がたまたま優遇されすぎていただけです。
みんな自分で行きたい企業を調べて応募しに行っているじゃないか、自分も同じことをすればうまく行くはずだ、と思いました。
さっそく休み明け、進路相談の先生に相談しに行ってそのことを話しました。
返答は思いがけなかったものでした。
「自分で応募しに行くのは自由だけどね、せっかく推薦があるんだからもったいないよ。」
「あと、大手に行っておいたほうがいいよ、こんな時代だからね。」
「先生は昔、大きな会社で働いていたときは たくさん友達ができてね、その人は和歌山出身だったんだけど一緒にミカンを取りにいったもんだよ……」
ちなみに言っておくと、その先生はおじいちゃんでした。
ひたすら自分の大手にいた頃の経験を語られ、大企業の良さをひたすら問いただされる1時間となりました。
無理もありません。
僕の受けようとしている会社はその道に詳しい人なら誰しもが知っている会社ですが、ふだん電気回路を扱っている人でしかも世代が違いすぎててアプリとかウェブサービスのことなんて知るわけがありませんでした。
しかもあろうことに途中から電話がかかってきて話が中断になりました。
電話の話が聞こえてきますが、どうやら身内からカニが送られてきたらしくやたらテンションが上がっていました。
結局ムダな一時間だと思いました。
唯一わかったことは、進路相談の先生が今日の夜はカニ鍋をすることになったのと、この先生に相談したのが間違いだったということだけでした。
その大きな耳たぶがカニに挟まれ続けたらいいなと思いながら、教員室をあとにしました。
以下の記事に続きます。