新宿にある つるかめ という食堂の過去が壮絶すぎた(ザ・ノンフィクションより)

日曜のお昼にフジテレビで放送している、ザ・ノンフィクション というドキュメンタリー番組があります。

日本の社会問題や人々の人生を追っていく番組で、毎週ある人物やテーマを取り上げ、基本的には1回の放送で完結します。

 

個人的に特に好きなのが、新宿の裏通りの飲み屋、中華街の食堂、銀座のお寿司屋、池袋のラーメン屋などといった実際に身近に存在するお店の歴史や経営、後継ぎ問題などの回で、これが本当の話なので、リアルで興味深く、いつも観ています。

取材が長期になることもあり、数年後にまた「その後」として再編して放送することもあって、ハッピーエンドもあればうまくいかないこともあり、生きていくうえで、かなりリアルな現実が描かれていて考えさせられることが多いです。

 

そんな中で特に好きな放送回が、新宿駅・西口の思い出横丁にある つるかめ食堂 というお店の過去を追った回です。

今でもこのお店は同じ場所で営業されていますが、このお店の過去がドラマのような壮絶なシナリオになっていたので、ご紹介したいと思います。

 

サラリーマンの聖地、思い出横丁

 

新宿駅 西口にある戦後すぐに誕生した思い出横丁は、昭和っぽいレトロな面影を残す一角で、ここには焼き鳥、うなぎの串焼き専門店、江戸前のお寿司屋などさまざまなお店が軒を連ねています。

長い間サラリーマンの聖地で、今では若いOLも集まる賑やかな横丁です。

 

つるかめ食堂

その横丁に創業60年以上になる家族経営のつるかめ食堂がありました。

 

お店を先頭で切り盛りしているのが75歳になる斎藤雅子さん。

 

そしてお母さんを支えるのが三代目経営者の44歳になる息子の辰志さん。

 

厨房で料理の腕を振るうのは、大ベテランの71歳になる斉藤勝利さん。

親しみを込めてみんなから「店長」と呼ばれています。

 

ここではよそにはない珍しい丼ぶりや、惣菜が人気でした。

 

お客さんも老若男女が入り混じり、開店当時からの馴染み客も数多くいる愛されているお店でした。

 

店舗の老朽化

辰志さんはあることで頭を悩ませていました。

それは築60年になる店の老朽化。

積もり積もった汚れなどが限界にきていました。

 

そしてついに 2010年の夏、店の改築を決意しました。

限られた予算の中で基礎を残したままリニューアルする道を選びました。

 

2010年8月16日、改築のため店の営業いったん停止します。

再開は 2ヶ月後の10月の予定です。

 

最終日、お客さんも

「さびしくなるね」

と名残惜しそうにしていました。

 

長年、お店で働いてきた「店長」も

「慣れた同じようなところがいいけど今はそうは言ってられないのかな。」

と本音をこぼします。

 

最後のお客さんを送り出して、無事にお店は一時閉店となり、これから本格的に改築の準備です。

ところがこの改築には、大きな落とし穴があったのです。

 

2代目と3代目の考え方の違い

辰志さんの父、昭隆さんは82歳。

つるかめ食堂を初代とともに創業した2代目経営者です。

3年前に脳梗塞で倒れて以来、車椅子での生活を送っていました。

 

閉店後、家族揃っての外食です。

そこでお店の経営についての話になりますが、辰志さんは

「今後はどんどんメニューを減らしていいものを出す。」

「お父さんみたいないい加減な料理は、時代に合わない。量が多ければいいってもんじゃない。」

と、ついつい自分の理想とするお店の話を押し付けてしまいます。

 

お父さんは頼もしいような寂しいような複雑な気分ですが、

「後継ぎがなかなかいない。辰志さんがいてうれしい。」

と。

 

新しい店舗やメニューで はりきっている辰志さんですが、この後 不運に見舞われるとは知る由もなかったのです。

 

解体工事が始まる

 

猛暑真っ只中の8月20日、店の解体工事が始まりました。

 

しかし、計画が変更になり、柱は残すという当初の予定ではなく、全てを取り壊すことになりました。

店舗の老朽化が思ったより進んでおり、取り壊さざるをえなかったのです。

そのことが後々思わぬ展開を招くことになっていきます。

 

許可が下りない

本当は柱を残して改築をやるつもりだったが、あまりの老朽化で取らざるを得なかったことで、思い出横丁特有のやっかいな土地問題に足を絡め取られてしまうことになってしまいました。

 

更地にしてしまったことで、区役所から店の改築申請を却下されてしまったのです。

柱を残している限りは改築の許可は出ますが、スケルトン(更地)にした場合は建築基準法に適用されません

さらにつるかめ食堂が面している中通りは私道のため、公道ではない所に新たな建築物を建てるのは許可できないという特別なルールがあったのです。

 

つまり全部取り壊してしまった以上、区から改築の許可も出ず、かといって私道のため、新築の許可も得られなくなってしまったのです。

 

窮地に立たされた辰志さん、いったいどうするのでしょうか。

 

不運は重なる

店の行く末に不安を感じた妻の優子さんが突然倒れてしまいました

精神も肉体も限界に達していた優子さん、故郷に帰ったまま、リハビリ生活を送っています。

店の改築がうまくいかない中、妻も去り、辰志さんもつらい状況が続きます。

 

区役所からの提案

改築も新築もダメになり、区役所から逆に提案されたのは隣接する店の増設工事という手です。

 

しかしそう簡単に話は進みません。

弁護士を交えて協議してみたところ、所有権、登記証といった権利関係や税金問題などが障害となり、隣接店からの増設の協力を得るのが一筋縄ではいきません

 

不運は続く

11月半ば、つるかめ食堂を創業当時から勤めてきた「店長」が72歳にして末期がんで亡くなってしまいました

こんなときにかけがえのない戦友までも失ってしまいました。

 

そして、辰志さんの台所にはお酒の空き瓶が。

眠れなくてお酒を飲んで寝るようになりました。

 

「飲むことを覚えたんですよ。無理してガーっと飲んでガーっと寝る感じ。考え始めたら眠れない。」

 

状況が変わらない日々

もともと辰志さんはパンクバンドをやっており、東京 大久保にあるライブハウスの古巣で、会場でTシャツを売って、仲間の計らいで生活費の足しにさせてもらっていました。

しかし追い詰められた状況は変わらず、いまだ工事はストップしたままです。

あれから隣接する複数の店舗に増築の協力を願い出たものの、権利関係などでこじれてしまい、結局 増築の話は立ち消えになってしまったのです。

つるかめ食堂の向かいの店舗と渡り廊下で結ぶという「夢の架け橋」案も出ましたが、アイディアだけで終わりました。

 

常連客や、周りのお店の店長たちも心配しています。

 

「親の残した財産ですからね。これだけは絶対に、何が何でも潰さないように頑張るつもりでいます。」

と辰志さん。

 

新たな希望

年は明け、ようやく辰志さんに一筋の光が差し込もうとしていました。

 

「仮設という感じでいこうかなと。」

 

改築、新築、増築がダメで、今度は仮設という手段です。

ただ、条件があり、仮説の場合は屋根を作ることはできません

屋根があると家としてみなされてしまうからです。

 

しかし、辰志さんにはある秘策があるというのです。

 

動き始めたように思われたが、、

2011年3月、つるかめ食堂再生に向けて、区役所からやっと朗報が届きました。

これで動き始められます。

そして、東日本大震災から4日後の3月15日、新生つるかめ食堂の仮設工事がついに始まりました

 

しかし、また問題が発生します。

ようやく基礎工事に着工したものの、今度は、サッシや建材関係が仮設住宅の関係で入りづらくなっているというのです。

被災地優先のため、建築資材の入荷遅れという事態が発生しました。

 

ついにオープン

仮設店舗工事開始からおよそひと月経った春、ついに新生つるかめ食堂 仮設店舗がその姿を現しました。

 

仮設店舗オープンの決め手となったのは、屋根にありました。

開閉式の屋根です。

 

紐を引っ張ると、屋根が開閉する仕組みになっています。

 

 

心配していたお父さんも、

「電気がいらない。」

と一安心。

 

お母さんも職場復帰し、そして亡くなった「店長」の代わりに「店長」の妹さんが戦力に加わって、営業再開にこぎつけました。

 

最期に

ちょっとした誤算で状況が大きく変わってしまうこともあるのだと実感しました。

不幸は連鎖して起こっていきましたが、最期まであきらめずにお店と向き合った辰志さんの努力、そしてオープンできたことに感動しました。

ザ・ノンフィクション、これからも観ていきます!

 

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